【薬剤師監修】誰だって鬼になり得る。鬼滅の刃に学ぶ!「感謝」
僕たちに出来ることなんて高が知れている。
ただ、僕たちに出来ることがあることも知っている。
僕たちは〝小さな気づき〟を届けるお手伝いを続けていく。
変わりたいと願い、変わるための準備をしているあなたへ。
大丈夫、変われるから。いつだって、変われるから。
心から応援しています。
株式会社インフィニット・エボリューション 代表取締役 永井 博
(2021.3.16更新)
【Notice of today:人間味(にんげんみ)】
「鬼滅の刃」は、鬼を滅するために立ち上がった人間と、人間を喰らう鬼とが描かれた漫画です。
架空の物語に登場する人間と鬼は、実に〝人間味〟に溢れている。
彼らの発する言葉から、
人生を全うすること
について考えてみる。
『鬼滅の刃に学ぶ!感謝編』。スタートです。
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もくじ
👹猗窩座の名言💡
「病で苦しむ人間は、何故いつも謝るのか。」
※鬼滅の刃ジャンプコミックス18巻 著:吾峠呼世晴
上弦の参まで昇り詰めた猗窩座(あかざ)。
鬼の始祖、鬼舞辻無惨の手によって鬼となる前、人間(狛治)だった時に語った言葉。
「病で苦しむ人間は何故いつも謝るのか」
己の信念に従い生きた男から、感謝について学ぶ。
病で床に臥せる男。
彼が胸に抱いた
〝ありがとう〟の気持ちと〝申し訳ない〟のキモチ
は、自分を看病してくれる息子狛治(猗窩座)への想い。
礼儀作法を重んじる〝日本文化のなごり〟なのだろうか?
私たちは「すいません(すみません)」「ごめんなさい」とよく謝る。
看病してくれる家族に対して、恋人に対しての「ごめんね。」
お見舞いに来てくれた親戚に、友人に、同僚に対しての「すいません(すみません)」。
謝罪すること自体は全く悪いことではないけれど、でもどうして
親切な行為に対してまで「ごめんね」って言ってしまうのはナゼ?
なのだろうか?
「病に苦しむ人間は何故いつも謝るのか…」
〝看病に当たる側〟だった狛治(猗窩座)は、病と闘っている父から謝られることに違和感を感じている。
「迷惑をかけてすまない…。」
「申し訳ない…。」
子が親の面倒をみるのは至極当然のことなのに、どうして?
彼は父からの〝謝罪の言葉〟なんかいらないと考えています。
狛治(猗窩座)の言葉が教えてくれるのは、
差し出しされた手には握り返せばいい
ということ。
「ごめんね」とか「すみません」とか、謝罪の言葉は必要ない。
「ありがとう。」と感謝のキモチを伝えればいい。
「ありがとう!」って言われたほうが、お互いに温かい気持ちになれる。
👹煉獄千寿郎」の名言 💡
「体を大切にして欲しい。」
※鬼滅の刃ジャンプコミックス8巻 著:吾峠呼世晴
お互いに不器用なもんだから、父と息子の関係って不格好極まりない。
たった一言が言えない。
簡単なやり取りが出来ない。
〝なんとなく〟スムーズに事が進まない。
これが父と息子の関係…。
煉獄家の親子から学ぶ「感謝のキモチ」。
「いつもありがとう!」が言えない…。
「頑張れ!」「頑張ってるね!」を言葉に出来ない…。
父と息子の関係に限らず、〝言葉足らず〟になりがちなのが親子の関係です。
父へ…。母へ…。息子へ…。娘へ…。
〝伝えられていない想い〟ってありませんか?
「言われなくても分かっている…」
「言葉にしなくとも分かってくれている…」
はず…。
このような考えをお持ちの方は少なくありませんよね?
「わざわざ言葉にする必要はない。」
これって、本当でしょうか?
死の間際に残す言葉は、きっと、強い想いが込められている。
「体を大切にして欲しい。兄上が父上へ遺した言葉はそれだけです。」
〝結果的に〟弟の千寿郎によって父親へと伝えられた兄杏寿郎の想い。
けれど、
想いは生きているうちに自分自身の言葉で届けたほうがいい
って私は思いました。
心のなかでは分かっている。
気持ちにちゃんと気づけている。
言葉にしなくても伝わっているかもしれないですが、
感謝の想いが詰まった言葉は、直接伝えるべき
だと思う。
👹不死川玄弥の名言💡
「俺は兄ちゃんに甘えられる。弟だから。
でも、兄ちゃんは誰に甘えるんだろう?」
※鬼滅の刃ジャンプコミックス片羽の蝶 著:吾峠呼世晴
あなたには〝年下のきょうだい〟はいますか?
私は長男で、不死川実弥(しなずがわさねみ)と同じで弟がいます。
幼い頃は、ケンカをしてはいつの間にか仲直り。
付かず離れずの兄弟関係でした。
弟として生まれた玄弥から、
「兄弟(姉妹)がいることの有難み」
を学ぶ。
「鬼滅の刃」には、兄弟(姉妹)の関係を描いたシーンが数多く登場します。
不死川兄弟のそれは、偉大な兄を追いかける弟。
追いつきたいけれど、追いつけない。
兄からは「鬼殺隊をやめろ」とまで言われる。
「兄ちゃんは誰に甘えるんだろう」
「兄ちゃんは誰に甘えるんだろう?」
兄や姉には無い、弟や妹に〝固有の考え方〟なのでしょうか?
「誰に甘えようか?」なんて、考えたことが無い…。
兄(姉)には「先に生まれた者としての役割」があって、弟(妹)には「後から生まれた者としての役割」がある。
〝きょうだい〟の違いって、それだけではないのか?
私が初めて出合った、驚きの考え方でした。
いずれにしても、兄弟(姉妹)がいなければお互いを意識することは出来ません。
一緒に遊んだり、ケンカも出来ない。
もちろん、切磋琢磨することも出来ない。
兄のことを想う玄弥の言葉に、
兄弟(姉妹)がいることの喜びが実感できる。
兄(姉)がいて良かった…。
弟(妹)がいて良かった…。
兄弟の存在に感謝するキッカケをくれる、玄弥の言葉。
人生には、1つとして同じものは無い。
だからこそ、他人の一生には学ぶべきところがたくさんあると思う。
to be continued…
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