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【薬剤師監修】「呪術廻戦」に学ぶ人間らしさ第5弾!!注目ポイントは負のワード!

(2021.3.6更新)

【Notice of today:負≠マイナス】

呪術廻戦には『小説版』が存在する。

ファン必読の1冊には、漫画本編に付随する〝アナザーストーリー〟が描かれている。

今回は、漫画ではなく

呪術廻戦『小説版』に見つけた〝負のワード〟にフォーカス

していく。

あなたにも問う。

今を生きていますか?

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呪術廻戦「小説版」第1弾・第2弾

★名言引用元: ジャンプ・ジェイ・ブックス
・呪術廻戦 小説版「逝く夏と還る秋」
・呪術廻戦 小説版「夜明けのいばら道」
(著)芥見下々 ・北國ばらっど


★第1弾(虎杖悠二、伏黒恵、七海建人、真人 )はこちら⤵


★第2弾(パンダ、東堂葵、真人、五条悟、夏油傑)はこちら⤵


★第3弾(九十九由基、三輪霞、五条悟、冥冥)はこちら⤵


★第4弾(禪院直毘人・両面宿儺・禪院真希)はこちら⤵




📚呪術廻戦「逝く夏と還る秋」

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呪術廻戦小説版「逝く夏と還る秋」

五条悟「馬鹿も行き過ぎると可愛げがない」

★特級呪術師 五条悟(ごじょうさとる)

小説版第1弾「逝く夏と還る秋」に見つけた五条悟の言葉。

読んで字の如くで、難しいところは見つけられない。

負のワードは〝馬鹿〟。

このセリフが五条悟のものだというところがキモ。


「あなたは〝馬鹿〟をするだろうか?」

wikipedia (ウィキペディア)を覗くと、

愚かなこと、社会の常識に欠けていることを馬鹿という

と書いてある。

ただ、私からの質問は

「〝くだらない馬鹿〟をするか?」

を問うものであって、常識がどうとか、そういった真面目な類いの質問ではない。

それでは、あらためて問います。

馬鹿、していますか?


音程をド無視で「うっせぇわ」と奏でてみる。

部屋の置き型消臭剤にオナラを放ってみる。

こんな事を来る日も来る日もやっていたら、なんらかの〝研究者〟かただの〝変態〟だが…。

窮屈な社会で毎日を生きているのだから、

誰かと共有するほどでもない〝小さな馬鹿〟が必要

だって私は思うが、あなたはどうだろうか?

人間には〝行き過ぎない程度〟の〝真っ当ではない馬鹿〟が必要。

こんな風に思わないだろうか?


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五条悟(きゃらドリアクスタ)

排他的思考をもった、社会常識に欠けた男、五条悟。

平然と「僕、最強だから」と言ってみたり…

しゃべるが9割、聞くは1割だったり…

上層部の人間を「殺してしまおうか」と卑下したり…

そんな彼が語った

「馬鹿も行き過ぎると可愛げがない」

という言葉。

明らかなのは

〝五条の馬鹿〟は多くの人を惹き付けている

という事実。

ナゼなのか?


人の魅力が存分に表れるのは、五条悟がもっているような〝奇想天外な個性〟だ。

性格が欠落していると同時に最強な彼だから、私たちとは別次元であることは確か。

だが、それでも

上手に馬鹿を取り入れているように見える

のが五条悟。

類を見ない、人マネではない、突き抜けたモノがオリジナル。

私たちは、五条悟から「不自由な中で自由に生きればいい」ことを学ぶ。

最後に…

さすがの消臭剤もリアルタイムの屁には満足に機能しない。

ぜひ一度、お試しあれ。




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虎杖悠二「分かってねーな伏黒。…ああいうのはな、確実じゃねーからいいんだぜ」

★呪術高専一年 虎杖悠二(いたどりゆうじ)

「逝く夏と還る秋」に描かれた、虎杖と伏黒の〝ふたりの時間〟。

〝ああいうの〟とは、カプセルトイ、いわゆるガチャポンのこと。

虎杖がガチャガチャの魅力が分からない伏黒へと語った言葉から、負のワードは「確実じゃない(確実じゃねー)」。

リスクを避けて確実性を求める反面、不確実なものに手を伸ばそうとする人間の妙。


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虎杖悠仁(きゃらドリアクスタ)

あなたは〝冒険家〟だろうか?

変わり種にすぐ手が出る

とか

旅先へは無計画でいく

とか。

わざわざ雪山へ登ったり、海の底へ潜ったりする必要はない。

いつも素通りするガチャガチャに、100円玉を投げ入れるだけでも冒険。

安心安全よりも好奇心が先に立つ

のが冒険家。

あなたは、より不確実性の高いものを選択する〝冒険〟に意味を見出せるか?


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ついつい手が伸びてしまうのが「ガチャガチャ」

虎杖悠二は、ガチャポンの魅力を「不確実なところ」と語る。

玩具であるカプセルトイに、命を脅かすほどの〝リスキーさ〟は無い。

だが、

期待値を下回る可能性がある

のは確実。

硬貨を入れて〝ガチャガチャ〟しなければ何も失うことはないのに、〝あえて〟リスクをとってしまう。

虎杖が語る、ガチャポン、ガチャガチャの魅力。

伏黒に伝えたかった〝人間の心理〟と〝生きることの魅力〟。


真面目な伏黒のように、一般的に人間は安定を求める生き物だ。

それでも、不確実なものに惹かれてしまうのも人間。

安心安全を望みながらもカラダが抗ってしまうのは、

私たちの明日を保証するものなんてどこにも無い

からではないだろうか?

私たちは〝確実じゃねー〟今を生きている。

それが生きるってこと。

もっともっと冒険しよう!




東堂葵「胸も張れない男に勝利があるわけがない」

★一級呪術師 東堂葵(とうどうあおい)

初対面で〝女の好み〟を問う、東堂葵。

一発で〝人と為(な)り〟を見破ろうとする奇天烈な男の持論。

負のワードは「胸も張れない」。


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東堂葵

胸を張れないのは、自信がないからだ。

自信を欠いた人間に、気持ちが上向く要素を見つけだすのは至難。

ただ、胸を張るという行為は単純簡単なことではなく、両肩で空気を切って歩くのとはわけが違う。

胸を張る男には、頭頂部から足裏にかけて〝一本の芯〟が突き刺さっていて、負のオーラは見る影もない。

単純な方程式だ。

「胸を張れる男=自信のある男

でまず間違いない。


「どんな女が好みだ?」

性癖を問う東堂の〝クセ〟は、ご紹介している彼の持論と「遠くかけ離れたものではない」と私は思っている。

女の好みを即答する男は、少なからず

自分の発言に責任を負っている

と言える。

この点は、プライドをもって今を生きる男と同じ。

東堂の〝試み〟に〝どぎまぎさせられる〟男は少なくないはずで、

一体、どれくらいの男が〝性癖を吐露〟出来るのだろうか?

とひとり思う。


「胸も張れない男に勝利があるわけがない」

己に対する自信は、行動に誇りを生み出す。

プライドが欠落している男に、胸を張ることは難しい…。

東堂の持論は極論かもしれないが、うつむいて歩く男には

「まぁ勝てないだろうな」

と感じざる負えない。

勝利は

胸を張って生きる人にこそ似合う

ものだ。

根拠のない自信で構わない。

視線の先を少しずつ上げて、あなたも胸を張れ!




📚呪術廻戦「夜明けのいばら道」

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夜明けのいばら道

禪院真依「誰かに縋(すが)れるって勘違いは、タチが悪いのよ」

★三級呪術師 禪院真依(ぜんいんまい)

呪術界御三家の1つ、禪院家。

名家の血筋を引く禪院真依は、双子の姉、真希と共に

見えない足枷に苦しむ日々

を過ごしている。

彼女が語った負のワードは「縋(すが)る」。

聞いたことがありますよね?

「藁(わら)にも縋る」という言葉。


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禪院真依(きゃらドリアクスタ)

幸いなことに、私は禪院真依のように〝生まれつきの縛り〟は持ち合わせていない。

それでも「誰かに縋りたい」と考えることは少なからずある。

きっと〝特別な縛り〟が無くとも

「何かに縋りたい」と思ってしまうのが人間

なんだと私は思う。

「誰かを頼りたい…。」

押し潰されてしまうほどの圧を感じれば、

えんぴつ1本にだって縋ってしまう

のが人間。

あなたはどう思いますか?


「誰かに縋(すが)れるって勘違いは、タチが悪いのよ」

禪院真依は、縋るという行為自体を否定してはいない。

勘違いを指摘しているだけだ。

但し、彼女の言葉は根が深い。

他人に縋るという行為は、一見したところでは〝能動的〟に思える。

けれど実際には、能動的であるどころか受け身一辺倒なのが縋るという行為だ。

実質他力本願と同じだから、

縋ることには何も保証されたものが無い

と言える。

掴んだ藁が必ずしも地べたに強い根を張っているとは限らない。

〝すがる〟とは完全なる受動的行為

だ。


禪院真依は勘違いを指摘するだけでなく、他人に縋る行為を「タチが悪い」と酷評している。

縋ることは〝性悪〟だというのが彼女の考え。

縋るとは本来、

頼りとするものにつかまる

助力を求めて頼りとする

ことであって、頻発させるものではない。

生きることは決断を繰り返すこと

であって、縋ることで成立させるものではないというのが真依の考え。

何の気なしの〝なんとなく〟が、いつの間にか〝タチの悪いもの〟に変わってしまっている。

身に覚えのあるものが数多く出てくるのは私だけか?




釘崎野薔薇「相変わらずアホ面だなって思ってただけよ」

★三級呪術師 釘崎野薔薇(くぎさきのばら)


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釘崎野薔薇

「踊る阿呆に見る阿呆」

徳島県の民謡〝阿波踊り〟にある一節。

踊る者もそれを見ている者も〝大差ない〟ことを意味する言葉。

私には歌にある〝阿呆(アホ)〟と釘崎の言う〝アホ面〟とが近しいように感じます。

負のワードは〝アホ〟。


アホという言葉はとても不思議です。

一般的には言葉にされて気持ちの良いものではありませんが、その場の状況や使い方次第では温もりを感じられるものに大変身します。

馬鹿にしているわけでもなく、見下しているわけでもない。

愛情を込めて使われる

ことがある言葉でもあります。


「相変わらずアホ面だなって思ってただけよ」

釘崎が語った言葉には裏がありません。

彼女は、正直に、感じたままに「アホ面してる」と口にしています。

多少の〝嫌味〟は含んでいるものの、そこに相手を否定する気持ちは一切ありません。

「相変わらず…」と言っていることからも、釘崎が

相手を受け入れているからこそ言葉にしている

ことが分かります。


民謡〝阿波踊り〟にあるように、部外者には〝本当のところ〟は分からないのです。

分かり得ない。

喰わず嫌いで周りからゴチャゴチャ言っている奴が一番厄介者

なのです。

否定の言葉は、対象のことを十分に分かった上で初めて口にするべきもの。

同じ阿呆(アホ)なら踊らな損々。

笑われるアホで私は結構。


to be continued…それではまた~

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